斎木 楊
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「意識高い」
これは褒め言葉なのか、間接的にディスられているのか、
どっちなんだろうと思ったことってありませんか。
そもそも前提として、テストの点数みたいな明確な指標がないものに対して、
高いとか低いとかは相対的なものなので、
結論、人によって意識が高いとか低いとかの尺は違うから、なんとも言うことができない
というものだとおもいます。
今日は、このよく耳にする発言について考えたいとおもいます。
誰目線なのか
著名なスポーツ選手とか、活躍されていてメディアでよく出てる人に対して、
意識が高いなんてことは言えないとおもいます。
おそらく自分と目線や価値観が近しい存在だった人が少し自分とずれていたり、自分より少し進んでいるような感覚を覚えた時に、
ちょっとひやかしとかいじわるな感情で、この手の発言をして、
「本当はそんなやつじゃなかったのに、急にいきりたってどうしたんだよ」
と、言外にディスりのニュアンスをまぜこむことによって、
相手を落として自分との差を縮めようとしている、自分のポジションを守ろうとしているだけなんじゃないかとおもいます。
逆に今度は言われた側の立場になった時に、言われた側は、今までこれに反応して、
「意識低くね」
って言い返したことがある人はいるんでしょうか?
おそらく、何も言えずに、自分の発言や態度がその場の空気を乱してしまったり、
無意識の行動に嫌悪感を覚えてしまったりする場合の方が多いんじゃないかともおもいます。
または、メンタルが強い人であれば、そもそも相手に興味がないので、スルーしたり、
その場で相手との距離感や温度感の違いを認識し、そっと離れるようとするとおもいます。
意識が高いんじゃなくて、視座が高い
逆に、この人は
「すげー」
と尊敬できる人に対しては、
その人の意識が高いとか思わずに、その人の目線や視座が自分と異なり、
自分が見えない景色や価値観、自分が持っていない引き出しを持ってるんだなと、純粋な気持ちになりますよね。
すると、どうやったら、自分もそういうところにたどりつけるのか、っていう考え方に自然と切り替わりませんか?
あいつは意識が高いから俺とは違うっていう感覚になって、そこで壁を作ってしまった時点で、
とてももったいないとおもいます。
確かに、人は人、自分は自分であると、比較しないというのは大切なことですが、
この比較において、違いによって相手を否定するのはイマイチで、
違いは、ただただ違いであるという以上のそれ以外でもなんでもない、
とすればそれでいいんじゃないかとおもいます。
意識が高いのどうのとか言ってる場合じゃない
自分も気をつけたいのですが、
そもそも意識が高いとか低いとか、そういうことを言ってる時点でまだまだで、
低いとか高いとかの議論がなくて、側から見たら一見やばいけど当事者は、それがスタンダードな状態、
スタンダードな人同士のコミュニティ、というものを大事にできるといいですよね。
なので、もし今、日々の生活の中で周りとの温度感を感じるようになって、そこになんらかの後ろめたさを感じるようであれば、
知らんぷりすることが大事だとおもいます。
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